〜電脳世界へようこそ〜

パソコンが一般的になってからずっとメーカー製のPCを使ってきましたが、「すぐ遅くなる」「壊れると法外な修理代を取られる」「使わないソフトてんこ盛り」「スペックの割にとんでもない値段設定」という種々の苦しみから逃れるために、自作道へと迷い込んでしまいました。そしてハマってしまいました。
というわけでここでは、自作に関するエトセトラをお送りします。




自作道を往く! これまで買ったり組んだりしたPCの詳細とベンチマークなどを紹介します。
周辺機器レビュー PCを使う上で欠かせない周辺機器を主観的にレビューします。
ソフトを使う 使っている便利なツールやソフトなどについて報告します。
気になるニュース 進化のスピードについていくためにPC関連のニュースをチェックします。




私とコンピュータ
出会い 初めて買ったPCは、シャープのMZ-700というものでした。テレビにRFでつないで映すというもので、記録媒体は外付けのカセットテープ。ピーガーと鳴りながら読み書きしてましたねぇ。BASICでゲームを作り、一人で遊んでましたよ。あ、そういえば当時は「パソコン」ではなく「マイコン」という呼び名が一般的でした。

展開 友人がNECのPC-6001(通称パピコン)を買い、その素晴らしいマルチメディア性能に感動したオイラは、一大決心のもと、親に対する多大な借金をかかえながら新しいパソコンを買いました。東芝のPASOPIA7です。PSGの6重和音でピコピコと曲を作ったり、よりグラフィカルなゲーム作りをしようとマシン語を覚えたりした時期でした。

闇の時代 他の遊びに没頭したためにパソコンはまったく触らないというブランクの時間が流れました。世の中ではPC-8801そして9801が隆盛を極め、進歩も著しいものがありましたね。ブランクをやぶったのは友人の家でエロゲーをするために5インチフロッピーを使ったことでしたが、その後はより便利なワープロに移行したためにまたもやブランクが続きます。

光明 仕事で使うにはパソコンは不便なものという認識が強かったのですが、ある日、仕事で知り合った人からパソコンで音楽を作っているという話を聞き、その後、思い切りそれにハマることになります。勧められて買ったのはNECのPC-9821Cs2、通称キャンビーというマシンです。このときの値段が46万8000円。CPUはSX-33MHz、メモリは5.6MB、HDDは340MBと、今思えばずいぶん高い買い物です。MS-DOSと日夜闘いながら深みに猛進した日々でした。

入り口 実はこの頃からODPを載せたりメモリを増設したりSCSIボードやMPUボードを挿したりということはしていたのですが、メーカー製PCの便利さと手軽さには勝てずに自作へは踏み込んでいませんでした。それに、この時期は今ほど進歩のスピードも早くなく、1台あれば十分やっていける時代だったのです。

転機 思えばwindows95が出たあたりから、自作への道まっしぐらだったのかもしれません。今のようなインターネットではなくて、パソコン通信でMIDIデータを共有して楽しんでいたうちはよかったのですが・・・。ちなみに、NIFTY-SERVEの毎月の課金と電話代は3万円前後だったので今がつくづくいい時代になったということでしょう。

高速化 快適さを求めて、ネットサーフィンと音楽制作のためのパソコンPC-9821Xa13を買いました。ついでに仕事ではデスクトップが使いにくいのでノートパソコンも買いました。デスクトップよりノートパソコンのほうが買い換え頻度が高かったような気がしますが、より使われる物のほうが進歩が早いということなのでしょう。パソコンの能力値とともに、PC道を走るスピードも高速化したのです。

自己改革 ずっとNECのPCを使っていたのですが、OSが進化するのと反比例に、その作りの堅牢さは失われていく気がしました。特に省スペース型は使っているうちに体感速度がみるみる遅くなり、起動までに3分以上ということもザラでしたし、細かい部分が故障したということも一度や二度ではありませんでした。こんな状態でいつ壊れるか分からないものを高い金を出して買うことに疑問を感じ、いよいよ自作道へと足を踏み入れることになります。

マニヤ道へ 最初は安い海外ブランドPCとNECの廉価PCを買ってみました。安さの秘密を探ったのです。すると、パーツとソフトにこだわらなければメーカー製品の半額以下でくみ上げられることに気付きました。この頃、同じスペックで1台組むと、NECで約20万円、ソニーだと25万円のパソコンを8万円程度で作ることができると知ったのです。付属ソフトやサポートの価値がそこまであるはずもなく、以後、「PCは自作」が鉄則になりました。